前田青邨、紅白梅図写し扇面皿 36.51×2×2
大好きな日本画の中でも、青邨の紅白梅図は別格で大き目の扇面皿に写すことになつた。
40年前に陶芸を始めた頃、たったの2年目での無謀すぎる大挑戦だった。
四方八方に自由奔放に伸びる古木の枯淡な色調には、鉄を濃淡を付けながら置いてゆく。
紅梅はタンパンで、白梅は白化粧で。左右の隈取りには呉須と青磁を吹き付ける。
最後に祈るように透明釉に潜らせる。
長年、節句の季節と共に飾られ、破損欠損の憂き目に会いながらも、金継ぎで華やかに化粧され、愛おしくも健気に、今もま現役で生きている。
前田青邨、紅白梅図写し扇面皿 36.51×2×2
大好きな日本画の中でも、青邨の紅白梅図は別格で大き目の扇面皿に写すことになつた。
40年前に陶芸を始めた頃、たったの2年目での無謀すぎる大挑戦だった。
四方八方に自由奔放に伸びる古木の枯淡な色調には、鉄を濃淡を付けながら置いてゆく。
紅梅はタンパンで、白梅は白化粧で。左右の隈取りには呉須と青磁を吹き付ける。
最後に祈るように透明釉に潜らせる。
長年、節句の季節と共に飾られ、破損欠損の憂き目に会いながらも、金継ぎで華やかに化粧され、愛おしくも健気に、今もま現役で生きている。
前田青邨、紅白梅図写し扇面皿 36.51×2×2
大好きな日本画の中でも、青邨の紅白梅図は別格で大き目の扇面皿に写すことになつた。
40年前に陶芸を始めた頃、たったの2年目での無謀すぎる大挑戦だった。
四方八方に自由奔放に伸びる古木の枯淡な色調には、鉄を濃淡を付けながら置いてゆく。
紅梅はタンパンで、白梅は白化粧で。左右の隈取りには呉須と青磁を吹き付ける。
最後に祈るように透明釉に潜らせる。
長年、節句の季節と共に飾られ、破損欠損の憂き目に会いながらも、金継ぎで華やかに化粧され、愛おしくも健気に、今もま現役で生きている。
青磁染め付け柳図刺身皿 34×32×0.3
春先の、桜の終わり頃に、新芽を出し始める柳はとても可愛い。
その頃になると、花見と共に、あちこちの柳も観に行くことになる。
生で切った変形七角形皿の下方に柳の新枝を細く彫る。
素焼き。
周りに、刷毛で軽く青磁釉を撫で付ける。
中心部位を、染め付けの平筆で掃いて行く。
彫られた枝に弁柄を少し付け、濃い目の呉須で新芽を開かせてゆく。
春の到来を感じる皿で、春先になると使用する。
信楽焼き締め大皿 35×32×2
長年陶芸をやっていると、必ず大物を作って見たくなる時期がある。
この皿は、70×64×2という、物凄く大物の皿で、信楽のトップ作家である古谷道生さんの土を特別に分けて頂いての作陶となった。
大量の土を練って練って練りまくった。
叩いて叩いて、たたきだした。
厚さ5センチ位の80×70位の大きさに叩き出した。
そして今度は削り出しだ。
表裏を削って削って削りまくりだ。
そうして出来た皿が、乾燥の最中に真っ二つにヒビが入った。
窯焚きの日時ぎりぎりに、しょうがないと、真っ二つに切り離した。
それでもまだ、二枚となった大皿の焼成となった。
結果的には、このサイズが、重量ともに、使用する皿としての適性ギリギリのものとなった。
見事な灰被りと、窯変の面白さを併せ持つ、重厚な大皿となった。
信楽焼き締め大皿
裏面 35×32×2
長年陶芸をやっていると、必ず大物を作って見たくなる時期がある。
この皿は、70×64×2という、物凄く大物の皿で、信楽のトップ作家である古谷道生さんの土を特別に分けて頂いての作陶となった。
大量の土を練って練って練りまくった。
叩いて叩いて、たたきだした。
厚さ5センチ位の80×70位の大きさに叩き出した。
そして今度は削り出しだ。
表裏を削って削って削りまくりだ。
そうして出来た皿が、乾燥の最中に真っ二つにヒビが入った。
窯焚きの日時ぎりぎりに、しょうがないと、真っ二つに切り離した。
それでもまだ、二枚となった大皿の焼成となった。
結果的には、このサイズが、重量ともに、使用する皿としての適性ギリギリのものとなった。
見事な灰被りと、窯変の面白さを併せ持つ、重厚な大皿となった。
長形流し掛け握り皿 41×13×0.3
タタラで長めの長形皿を気ままに切って行く。
布目を付け、少し削り目を入れ、白化粧を大雑把に塗り、素焼き。
呉須、鉄、織部釉を斜めにザッと掛け、透明釉。
本焼き。
二人用の握り皿、刺身皿として使用。
僕の作る皿としては、ずいぶんと地味な感じの出来上がりなのだが、魚を乗せると色が映え、面白いものとなった。
青磁蝋抜き鉄紋長形刺身皿 25×15×0.4
皿の中央に、七本の線を太筆で鉄をタップリと置く。
上に透明釉を塗り、蝋で伏せる。
全体に青磁釉を厚めに掛ける。
本焼き。
やったことは、たったのこれだけなのに、鉄(弁柄)の線の色が微妙に面白く発色してくれている。陶芸の出来上がりは、常に30%位のプラスマイナスの変化があると言うのが僕の経験上の実感なのだが、僕には常にプラスの方へ行ってくれる強い運が付いているのではないかと、感じることが多い。
この皿は使い易く、使うことが多かった
五匹のサヨリ図握り皿 22×22×2.5
伊藤北斗先生、西洋絵の具特別講座より。
本焼きし、緑に塗られた丸皿の外側に、青色をスポンジで置いて行く。
そしてサヨリだ。
どうするか?
焼き物の西洋絵の具は、重ねることが出来ると言う。
すでに焼かれた緑の上に銀白を塗り、釘で引っ掻くと、綺麗な緑の細い線が出てきた。
下地の緑が出るのだ。
ならば、サヨリを引っ掻きで描くことができるのではないか?。
皿の真ん中に一本、少し太目の線を描いてみる。
周りを少しづつ削って行くと、サヨリの外観が面白い線と共に出てきた。
ヨシ!出来た。
後は生きた眼と、胸びれ。
背びれと尾びれも泳がせよう。
長く伸びた下顎の先端に紅を入れたら、見事にサヨリだ!
ついでだ、上下に五匹もオマケを付ける。西洋絵の具の色は、発色の色そのままなので、使い易い。
すっごく嬉しかった。
これからもこの絵の具を追いかけなくちァ‼︎
嬉しくて、しょっちゅう使っていた。
下絵付け青線尽くし握り皿 26×12.0.3
信楽の土に白化粧し、素焼き。
幅広の布に呉須を含ませ、横に五本の帯状に置き、上から擦って呉須を染め付けて行く。
その上に下絵付けの明るいブルーを塗る。
更にその上に薄く白線を描く。
帯の間の白地に薄く白線を入れる。
皿の周囲に鉄をぬる。
透明釉。
五枚の本焼き。
余りにも単調に横線を、ただひたすらに、何本もなん本も描くのに、最後は疲れてしまった。
もう嫌だ、これでやり納めだ。
しかし色の発色が美しく、お客様の評判も良く、多用された。この皿は縦長に置き、線を横にして使用する
五匹のサヨリ図握り皿 22×22×2.5
伊藤北斗先生、西洋絵の具特別講座より。
本焼きし、緑に塗られた丸皿の外側に、青色をスポンジで置いて行く。
そしてサヨリだ。
どうするか?
焼き物の西洋絵の具は、重ねることが出来ると言う。
すでに焼かれた緑の上に銀白を塗り、釘で引っ掻くと、綺麗な緑の細い線が出てきた。
下地の緑が出るのだ。
ならば、サヨリを引っ掻きで描くことができるのではないか?。
皿の真ん中に一本、少し太目の線を描いてみる。
周りを少しづつ削って行くと、サヨリの外観が面白い線と共に出てきた。
ヨシ!出来た。
後は生きた眼と、胸びれ。
背びれと尾びれも泳がせよう。
長く伸びた下顎の先端に紅を入れたら、見事にサヨリだ!
ついでだ、上下に五匹もオマケを付ける。西洋絵の具の色は、発色の色そのままなので、使い易い。
すっごく嬉しかった。
これからもこの絵の具を追いかけなくちァ‼︎
嬉しくて、しょっちゅう使っていた。
梅は咲いたか、長形刺身皿 43×20×06
前作、「武蔵野の朧月」の共皿です。下地は同じで、梅の古木を木の切れ端で勢いよく削り出し、まさに梅が匂い立つ瞬間を写した。
春先の飾り皿となった。
武蔵野と朧月、長形刺身皿 43×20×0.6
薄く平らに切ったタタラ皿は、重ねの収容が良く使いやすい。
今回はザックリと長形に切り、布目を細かいのと粗いのとで二分に押し分け、織部釉で草を、月は染め付けで朧月だ。
二枚組の一枚。
織部釉が綺麗に出てくれ、二人皿用として重宝に使用。
南蛮扇面大皿 45×30×0.8
作家、山本康朗さんの工房に何回も通っているうち、大皿を作ってみたくなった。
陶芸を何年もやっていると、たまには大きいものにも挑戦したくなるのだ。
大量の大量の大量の土を練り、叩き出し、伸ばし、十分に叩き、扇面に切る。
側に置いてあった麻の南京袋を借りて布目を付ける。
僕のやる仕事はそこまで、それだけ。
穴窯の釜詰めで、山本さんが穴の中の何処に入れてくれるかが、最後の全ての勝負となる。
いつもの様に最高の場所に入れてくれた。
オマケに赤貝を二個置き、ぼた餅の窯変まで準備してくれていた。
窯出し。
凹凸、割れもなく、最高の南蛮大皿が出来上がった。
感謝!感謝!
南蛮大皿は見事に料理が映え、長年にわたって愛用させて貰った。
今度、鮨、ご馳走します。感謝!
南蛮扇面大皿 裏面 45×30×0.8
作家、山本康朗さんの工房に何回も通っているうち、大皿を作ってみたくなった。
陶芸を何年もやっていると、たまには大きいものにも挑戦したくなるのだ。
大量の大量の大量の土を練り、叩き出し、伸ばし、十分に叩き、扇面に切る。
側に置いてあった麻の南京袋を借りて布目を付ける。
僕のやる仕事はそこまで、それだけ。
穴窯の釜詰めで、山本さんが穴の中の何処に入れてくれるかが、最後の全ての勝負となる。
いつもの様に最高の場所に入れてくれた。
オマケに赤貝を二個置き、ぼた餅の窯変まで準備してくれていた。
窯出し。
凹凸、割れもなく、最高の南蛮大皿が出来上がった。
感謝!感謝!
南蛮大皿は見事に料理が映え、長年にわたって愛用させて貰った。
今度、鮨、ご馳走します。感謝!
粉青粉引き 祭器写し 30×28×10~青銅器~
東洋陶磁美術館所蔵の名品、粉青粉引き祭器の原型は、古代中国の殷時代の青銅器で、それを写しにすることになった。
この李朝朝鮮の粉青粉引きの祭器は、幾多の粉引きの名品中の最たるものであり、僕の最も好みのもので、それを観るために年2回、10年にわたって大阪の中之島に通った。
粉引きの茶碗は、お茶の世界では打ち震えるほどの魅力を持つものとされている。
しかし粉引きは、まだ土も釉薬も技術も知らず、そのため今回は、粉引き祭器原型の青銅器として写すことになった。やがての粉青粉引き祭器再現の序奏として。
粉青粉引き 祭器写し 30×28×10~青銅器~
東洋陶磁美術館所蔵の名品、粉青粉引き祭器の原型は、古代中国の殷時代の青銅器で、それを写しにすることになった。
この李朝朝鮮の粉青粉引きの祭器は、幾多の粉引きの名品中の最たるものであり、僕の最も好みのもので、それを観るために年2回、10年にわたって大阪の中之島に通った。
粉引きの茶碗は、お茶の世界では打ち震えるほどの魅力を持つものとされている。
しかし粉引きは、まだ土も釉薬も技術も知らず、そのため今回は、粉引き祭器原型の青銅器として写すことになった。やがての粉青粉引き祭器再現の序奏として。
粉青粉引き 祭器写し 30×28×10~青銅器~
東洋陶磁美術館所蔵の名品、粉青粉引き祭器の原型は、古代中国の殷時代の青銅器で、それを写しにすることになった。
この李朝朝鮮の粉青粉引きの祭器は、幾多の粉引きの名品中の最たるものであり、僕の最も好みのもので、それを観るために年2回、10年にわたって大阪の中之島に通った。
粉引きの茶碗は、お茶の世界では打ち震えるほどの魅力を持つものとされている。
しかし粉引きは、まだ土も釉薬も技術も知らず、そのため今回は、粉引き祭器原型の青銅器として写すことになった。やがての粉青粉引き祭器再現の序奏として。
海中遊泳魚図長形刺身皿 33×26×0.3
染め付け、鉄、タンパン、白化粧等を使って、無数の泡が立ち上がる海中を、自由自在に泳いでいるサヨリの情景を描いた。
あまりに色々やり過ぎて、何をやったかよく覚えていないのだが、とにかく綺麗で面白い発色が引き出されていて、上出来、大満足であった。
日本陶芸倶楽部品評会、最優秀賞受賞。
金箔、金彩 、下絵付け変形七角飾り皿 37×28×2
日本陶芸倶楽部には金箔の講座がある。
よし!今回は思い切り華やかな大皿を作ってやろうと、心密かに思い立った。
金箔をどうする。
切るか?千切るか?大きく貼るか?
厚めに作った大皿を八角に切り、イイ形に削り出しでゆく。
白化粧.黒化粧をザッと全体に塗る。
下約半分弱に横線を彫る。
素焼き。
線の凹に黒を落とし、赤も落とす。
透明釉、本焼き。
さァ、金だ。
横線の凸と天の部位に金を大胆に惜しみなく塗って行く。
金箔は手で千切り、炎のような感じに貼ってゆく。
周りに点々と火の粉を散らす。
約800度での三回目の焼きに入る。
さてその結果は・・
大胆にも派手派手で、気持ちが良いくらいなのだが、料理の皿としては、いかがなものか! と、飾り皿となった。
しかし、随分材料代の高価な皿だこと⁉️
金箔、金彩 、下絵付け変形七角飾り皿 裏面 37×28×2
日本陶芸倶楽部には金箔の講座がある。
よし!今回は思い切り華やかな大皿を作ってやろうと、心密かに思い立った。
金箔をどうする。
切るか?千切るか?大きく貼るか?
厚めに作った大皿を八角に切り、イイ形に削り出しでゆく。
白化粧.黒化粧をザッと全体に塗る。
下約半分弱に横線を彫る。
素焼き。
線の凹に黒を落とし、赤も落とす。
透明釉、本焼き。
さァ、金だ。
横線の凸と天の部位に金を大胆に惜しみなく塗って行く。
金箔は手で千切り、炎のような感じに貼ってゆく。
周りに点々と火の粉を散らす。
約800度での三回目の焼きに入る。
さてその結果は・・
大胆にも派手派手で、気持ちが良いくらいなのだが、料理の皿としては、いかがなものか! と、飾り皿となった。
しかし、随分材料代の高価な皿だこと⁉️
総織部変形六角形刺身皿 25×25×0.3
素焼きに、白化粧を五本刷毛塗りし、少しずらし、四本の隙間を残して弁柄(鉄)を塗る。
四本の隙間をラテックスで伏せ、全体に織部釉をたっぷりと塗る。
さらに中央に、イツチングで大胆に織部釉を流し込む。
織部釉は、濃淡によつて見事に発色が変化する。
今回は三種類の発色が面白く出てくれた。
僕の陶芸では、狙ったものと完成品との差異が、常にプラスマイナス3割くらいの感覚で、最後はどちらに出るかの運の勝負みたいな所がある。
今回も、見事にプラスに出てくれた。
この皿は特に好きな皿で、長年多用させてもらった。
変形五角握り皿 27×26.5×3
青磁釉を平面の真ん中に、厚く盛り上げるように定着させるには、どうしたらいいのか?
挑戦だ!
タタラの素焼きに布目を付け、白化粧をローラーで転がしながら部分的に塗る。
素焼き。
中央に余白を任意に残す。
その周りに染め付けを塗り、鉄を引き、そこに透明釉を掛ける。
さらそにその部分を水蝋で伏せ、余白の部位に、たっぷりと青磁釉を流し込む。
本焼き!
青磁釉の定着が成功!
ウッヒッヒだった!
日本陶芸倶楽部品評会、最優秀賞受賞!
やった!
下絵付け篆刻印刺身皿 29×30×0.5
この皿は、同時に二枚作成した。
焼き物は、同日同時に二枚作っても、なかなか同じ様には上がってくれないものなのだが、この時は、一枚目の仕上がりが、かなりの手応えがあったので、直ぐに同じような色付けをして追いかけたのだったが、出来上がりは、ちゃんと発色の違いが出て、面白い皿となっていた。
真ん中に押した篆刻は、白文の傑作として知られ、すごく気に入っている。
地の白と印泥の朱色が見事に美しく出てくれて、感動ものだ。
黒化粧も、靄った雲の様な白化粧も、染め付けまでもが美しく発色してくれた。陶芸をしてて良かったなぁと、つくづくイイ想いにさせてくれた作品だった。
長年の使用による割れを銀継ぎ。
山間流れ雲図、変形六角握り皿 23×23×0.4
タタラに切った土を、握り皿の大きさに気ままに切る。
布目を施し、鉄と呉須をそれぞれ勝手にローラーで刷き、呉須で色と線を入れる。
大小3カ所に島をになる空間を造り、透明釉を置き、水蝋で伏せる。
全体に鉄を濃いめに塗り、本焼き。
かなり色々と悪戯をしたのだが、黒、青、白、茶色が微妙に場所の取り合いをし、面白い図柄となった。
上絵、長ネギ図握り皿 22×22×2.5
伊藤北斗先生の西洋絵の具による特別講座で、長ネギを描く。
白の貼り絵のテープを間隔を開けて全面に貼る。
その上に長ネギを描く
この1年、根の付いた長ネギを探して、農家から2束も送ってもらっていた。
ネギ、葱、ねぎ、と長ネギをいっぱい描いてきた。
そして遂にその時が来た。
3本重ねた白茎は上手く色が出るのか?
可愛い根っこの白くて細いひげは?
葉っぱの緑は如何に?
難題が山盛りであった。
試験焼き無しの一発勝負。手を合わせてお祈りだ!
幸運の女神様は又も舞い降りてくれました。
感謝、感謝!合掌!
絵、長ネギ図握り皿(裏面) 22×22×2.5
伊藤北斗先生の西洋絵の具による特別講座で、長ネギを描く。
白の貼り絵のテープを間隔を開けて全面に貼る。
その上に長ネギを描く。
この1年、根の付いた長ネギを探して、農家から2束も送ってもらっていた。
ネギ、葱、ねぎ、と長ネギをいっぱい描いてきた。
そして遂にその時が来た。
3本重ねた白茎は上手く色が出るのか?
可愛い根っこの白くて細いひげは?
葉っぱの緑は如何に?
難題が山盛りであった。
試験焼き無しの一発勝負。手を合わせてお祈りだ!
幸運の女神様は又も舞い降りてくれました。
感謝、感謝!合掌!
上絵金彩、武蔵野ススキヶ原図握り鮨皿 28×21×0.4
長方形の皿用に切ったタタラに布目をし、チョット洒落た感じに形を整える。
ローラーで黒化粧、その上に白化粧。程よい硬さの土に、海老串で斜め上に向かって勢いよく複数の線を彫る。
素焼き。
線彫りが素晴らしかった。これをススキの茎に利用する。
織部釉で近場の草を。
透明釉、本焼き。
さて、これからが勝負だ。
5枚の皿の茎の先に、美しい上絵の赤と金彩を、ススキの花として乗せてゆく。
ひたすらの2時間。
やがての窯出しは感動だった。
嗚呼、陶芸をやってて良かった!!
特大マダカ鮑(あわび)大鉢 35×25×10
北大路魯山人が大原の特大マダカ鮑のビワっ貝の素晴らしさを書いている。
面白い、鮑はこちとらが専門だ。
じゃぁ、その特特大のヤツをやってやろうじゃないか。
一大挑戦だった。
大量の土を練り、長方形に叩き出す。
後はたゞひたすらに彫って彫って彫りまくる。
最後にマダカ鮑特有の大きく高い角を付ける。
重い!
素焼き。
呉須、トルコブルー、鉄、織部釉と、何が何だか、ひっちァかめっちァか塗りたぐる。
重いの何のって、超特大マダカ鮑が二ハイ出来上がった。
重厚で華々しいのだが、なかなか出番のない器であった。
特大マダカ鮑(あわび)大鉢 35×25×10
北大路魯山人が大原の特大マダカ鮑のビワっ貝の素晴らしさを書いている。
面白い、鮑はこちとらが専門だ。
じゃぁ、その特特大のヤツをやってやろうじゃないか。
一大挑戦だった。
大量の土を練り、長方形に叩き出す。
後はたゞひたすらに彫って彫って彫りまくる。
最後にマダカ鮑特有の大きく高い角を付ける。
重い!
素焼き。
呉須、トルコブルー、鉄、織部釉と、何が何だか、ひっちァかめっちァか塗りたぐる。
重いの何のって、超特大マダカ鮑が二ハイ出来上がった。
重厚で華々しいのだが、なかなか出番のない器であった。
線彫り下絵付け刺身皿 28.5×27×0.4
変形丸皿の全体に黒化粧。
布目を付けた丸皿全体に、横線を4mm幅に彫る。
素焼き。
余白をラテックスで伏せ、全体に黒化粧。
ラテックスを剥がして色を入れてゆく。
最後に白の円を描き透明釉、酸化焼成。
30分独占のテレビ番組で、趣味の陶芸で皿を5枚作ることになり、一心不乱にやったのだが、もう一つ面白みが出なかったようだ。
李朝白磁壺写し金箔載せ握り皿 22×18×0.3
写真の天地が逆さまになつている。
韓国李朝の白磁、粉引きの器は、僕にとっては深く深く心惹かれるものがある。
大阪の東洋陶磁美術館は、その最大のコレクションを誇り、年2回10年にわたって鑑賞に出かけた。
素朴ながら静しつな佇まいの白磁壺に金箔のベタ貼りとは、意外な組み合わせの思いつきであつたが、金箔が抵抗してか地割れを起こし、面白い風情となった。好きで多用!
下絵付け篆刻印刺身皿 29×30×0.5
この皿は、同時に二枚作成した。
焼き物は、同日同時に二枚作っても、なかなか同じ様には上がってくれないものなのだが、この時は、一枚目の仕上がりが、かなりの手応えがあったので、直ぐに同じような色付けをして追いかけたのだったが、出来上がりは、ちゃんと発色の違いが出て、面白い皿となっていた。
真ん中に押した篆刻は、白文の傑作として知られ、すごく気に入っている。
地の白と印泥の朱色が見事に美しく出てくれて、感動ものだ。
黒化粧も、靄った雲の様な白化粧も、染め付けまでもが美しく発色してくれた。陶芸をしてて良かったなぁと、つくづくイイ想いにさせてくれた作品だった。
長年の使用による割れを銀継ぎ。
線彫りサヨリ遊泳図刺身皿 25×22×0.5
まんまるの形が、あンまり好きではなく、楕円にしたり、わざと角を切ったり。
今回は刺身皿に又又好きなサヨリを泳がせる。
前回は二匹、今回は七匹の群れでの回遊だ。
海面の海藻と網と光の間を嬉々として泳いでゆく。
6枚完成残り2枚、ナンとまぁよく割れるもんだ!よく使ったからなぁ。
線彫りサヨリ遊泳図刺身皿 裏面 25×22×0.5
まんまるの形が、あンまり好きではなく、楕円にしたり、わざと角を切ったり。
今回は刺身皿に又又好きなサヨリを泳がせる。
前回は二匹、今回は七匹の群れでの回遊だ。
海面の海藻と網と光の間を嬉々として泳いでゆく。
6枚完成残り2枚、ナンとまぁよく割れるもんだ!よく使ったからなぁ。
下絵サヨリ相愛遊泳図握り皿
変形五角形に切った素焼き全体に黒化粧、乾燥後白化粧。
さらに乾燥後、釘で二匹のサヨリを彫り、口先に透し紅をさす。
その下方に布に呉須を塗って網を写し、海藻として織部釉をイッチンする。
そして透明釉。
鮨に握るサヨリが大好きで箸袋、年賀状、陶器等、あちこちに描きまくりだ。
今回は黒、白、緑、青、紅の色合いが上手く噛み合い、一夫好みの一品となり、握り皿として多用した。ほんとにサヨリの下顎にさした紅が可愛らしい。
題名
飛翔鶴、絵織部角中皿 24×24×2
角皿の両端を大胆に、どばっと織部釉に漬け込む。
釉薬が流れ、大海の波ように押し寄せている。
その波の狭間を二組の鶴の親子が二羽三羽と飛翔してゆく。
凄く好きな皿で、二人用の刺身皿として重宝に多用した。
飛翔鶴、絵織部角中皿 裏面 24×24×2
角皿の両端を大胆に、どばっと織部釉に漬け込む。
釉薬が流れ、大海の波ように押し寄せている。
その波の狭間を二組の鶴の親子が二羽三羽と飛翔してゆく。
凄く好きな皿で、二人用の刺身皿として重宝に多用した。
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信楽焼大皿 35×32×4
信楽焼は信楽の土で、大量の赤松で、信楽独自の焼き方で焼くことによって焼き上がる。
しかし、さらに最も重要なことは、どれだけ素晴らしい独自の土を持っているか、そしてその作品を窯の何処へ入れるかが、全てとなる。この大皿は、この2倍の大皿として作ったのだが、乾燥の際、再三ど真ん中にひびが入り、遂に真っ二つに切っての焼成だつた。
この天然の釉薬となつた灰の被り方は尋常ではない素晴らしいものであつた。
この土は、信楽最高の作家であった故古谷道生さん独自の土である。
素晴らしい!僕の焼き物の誇りとなつた。
信楽焼大皿 35×32×4>
信楽焼は信楽の土で、大量の赤松で、信楽独自の焼き方で焼くことによって焼き上がる。
しかし、さらに最も重要なことは、どれだけ素晴らしい独自の土を持っているか、そしてその作品を窯の何処へ入れるかが、全てとなる。この大皿は、この2倍の大皿として作ったのだが、乾燥の際、再三ど真ん中にひびが入り、遂に真っ二つに切っての焼成だつた。
この天然の釉薬となつた灰の被り方は尋常ではない素晴らしいものであつた。
この土は、信楽最高の作家であった故古谷道生さん独自の土である。
素晴らしい!僕の焼き物の誇りとなつた。
信楽焼大皿 35×32×4>
信楽焼は信楽の土で、大量の赤松で、信楽独自の焼き方で焼くことによって焼き上がる。
しかし、さらに最も重要なことは、どれだけ素晴らしい独自の土を持っているか、そしてその作品を窯の何処へ入れるかが、全てとなる。この大皿は、この2倍の大皿として作ったのだが、乾燥の際、再三ど真ん中にひびが入り、遂に真っ二つに切っての焼成だつた。
この天然の釉薬となつた灰の被り方は尋常ではない素晴らしいものであつた。
この土は、信楽最高の作家であった故古谷道生さん独自の土である。
素晴らしい!僕の焼き物の誇りとなつた。
染め付け織部釉線描き刺身皿 25×25×2
タタラで5ミリの角皿に、蚊帳で布目をつけ、へらで大胆に線掘りする。
素焼き。
呉須を塗り、布目を出現させ、線掘りには織部釉をタップリと流し込み、透明釉に通す。
一見大胆な構図に見えるが、ちょっとやり過ぎた感じで、刺身皿としては使い勝手がもう少しだつた。
本阿弥光悦、八つ橋図写し扇面飾り皿 36.5×32.5×2
40年前、前田青邨の紅白梅図を扇面皿に写し、見事に大成功。
喜びの中で味をひめ、その後すぐに本阿弥光悦の八つ橋を写すこととなった。
主役の八つ橋を朱墨で描き、その周りをラテックスで伏せる。
その後朱墨をなぞりながら、橋を一気に描く。
ラテックスを剥がし、橋の周りに杜若(かきつばた)の葉を線描してゆく。
呉須と白化粧で花を咲かせる。
葉の周りに織部釉を吹きつけ、透明釉を掛ける。
随分と手の込んだことをやったものだと感心。
春の訪れに紅白梅図、初夏の始まりには八つ橋図と、長い年月楽しませてくれてきたのだつた。
斜めに見事に金継ぎが入る。
染め付け、流し込み青磁握り皿 30×13×0.8
袖の部位を伏せ、中に彫られた長方形の溝に、青磁釉をたつぷりと流し込む。
袖に染め付けで化粧する。
青磁の上に握り鮨、袖の部位にガリを置く。
面白いのに意外と使い勝手が悪く、多用させられず、無事に無傷であつた。
青磁長形握り皿 25×16.5×0.5
日本陶芸倶楽部の青磁釉は素晴らしい。
薄く掛けると高麗青磁風に、濃くすると南宋青磁風に発色してくれる。
今回は、信楽の白っぽい土で素焼きした皿の上下を細長く伏せ、青磁釉を尺掛けする。
上下の抜いた部位には染め付けを刷毛塗りする。
単純明快、スッキリと爽やかな握り皿になった。
青磁は様々な握りの色彩の美しさを映えさしてくれるのだが、青磁が少し崩れて面白ろかった。
南蛮塵取り形下絵付け握り皿 22.5×19.5×2.0
南蛮焼きに使う栗東の土を塵取り様に切り、下絵付けの赤を薄く乗せる。
脇に長方形の窓を付け、極細の線を彫り、灰色を入れる。
なんか妙な皿の出来上がりになった。
鉄分の多い赤土がチラチラと顔を覗かせていて、個性的で面白いじゃないか、と気に入って使っていった。
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信楽焼き締め鉄絵握り皿 24×18×0.4
日本陶芸倶楽部の同好のメンバー約30人で信楽焼に挑戦した。
埼玉県にある穴窯で3日間の焼成。温度が上がらず失敗。
信楽焼の焼成は、アマチュアには無理とのことで、信楽の職人と再挑戦。
土も大事だとのことで、信楽のトップ作家である古谷道生氏の土を使わせていただく。
鉄で草花絵をのせる。
この火色の美しい窯変は、全て最高の土のお陰であつた。
使う度に嬉しさが増していった。
題名
南蛮焼き締め刺身皿 28×21×2
南蛮焼きを追い掛ける作家、山本安朗さんの工房での、僕の最初の作品だつた。
滋賀県栗東の土を練って厚めに叩き出し、四隅を切り、狙いの形にただ一心に削り出してゆく。
人工の釉薬は一切なし。素焼きもなし。
乾燥後、穴窯に入れ、薪で3日間焼成。薪での焼き締めの出来は、窯詰めと焼成の技術に大きく左右されると言う。
黒茶褐色の発色と丸いぼた餅の遊びは、作家の技術と好意によるものだつた。
狙った厚みと重さからくる重厚さは心地良く、初めての南蛮、感動いっぱい、満足満足であつた。
後に破損、金継ぎにより、さらに風格も出てきた。
南蛮焼半月皿 13×7.5×0.3
南蛮焼は、利休が東南アジアの一部で焼かれている焼物を見立てて総称したもので、茶陶の世界では数々の名品が伝来している。
後に小山富士男と中里隆が種子島の土で見事に再現している。
ある時、小山富士男のぐい呑みが、三越本店のウインドウに単独で展示されているのを発見した時、打ち震えて持ち帰ったものだつた。
その後数年、その南蛮を追いかけている作家に幸運にもえ出逢い、一緒に作陶、穴窯の焼成までをもさせて頂くことになつた。
土曜の夜に行き、深夜に作陶、いっぱい呑んで、翌日昼、半乾きのものを、さらにいじって完成。
生を乾燥させたまま、直接本焼きに入る。
上手く焼けて、使うのが嬉しかった。
金継ぎあり。
題名
下絵付け篆刻(てんこく)印握り皿 23×19×0.4
楕円の一方をいい調子に切った皿の表面に、細く細く線を掘る。
皿の真ん中の一部を平らにし、2年ほどやって気に入った自家製篆刻印を押す。
平筆で下絵付けの赤と青を落とし付けてゆく。
薄く0.4㌢の厚さに切った陶板は、如何にも繊細で好ましいのだが、それ故に破損と欠落を生じさせ、いく度かの金継ぎと銀継ぎの目に合いながらも、大切に使ったのだった。
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下絵付け篆刻(てんこく)印握り皿 23×19×0.4
楕円の一方をいい調子に切った皿の表面に、細く細く線を掘る。
皿の真ん中の一部を平らにし、2年ほどやって気に入った自家製篆刻印を押す。
平筆で下絵付けの赤と青を落とし付けてゆく。
薄く0.4㌢の厚さに切った陶板は、如何にも繊細で好ましいのだが、それ故に破損と欠落を生じさせ、いく度かの金継ぎと銀継ぎの目に合いながらも、大切に使ったのだった。
下絵付け篆刻(てんこく)印握り皿 23×19×0.4
楕円の一方をいい調子に切った皿の表面に、細く細く線を掘る。
皿の真ん中の一部を平らにし、2年ほどやって気に入った自家製篆刻印を押す。
平筆で下絵付けの赤と青を落とし付けてゆく。
薄く0.4㌢の厚さに切った陶板は、如何にも繊細で好ましいのだが、それ故に破損と欠落を生じさせ、いく度かの金継ぎと銀継ぎの目に合いながらも、大切に使ったのだった。
殷の青銅器、マサカリ写し、握り皿
台湾の故宮博物院の収蔵品が上野の東博にやつて来た。
その中に、中国古代王朝、殷の青銅器のコレクションがあつた。
青銅器は殷の時代に最隆盛期を迎えたと言われる。
その異形で壮麗な数々の片隅に、ひっそりと小さな青銅盤が立て掛けてあった。
狩に使うマサカリの形で、持ち手の部分には玉が象嵌されていた。
祭事に用いられたと言う。
微かに緑青が吹き、3000年に及ぶ歳月は、小品ながら、静謐さの中にも堂々と異彩を放っていた。感動であつた。この形、この色彩を皿に写そう!。
一心不乱、色合いはかなり変化したが、嬉しい出来となつた。
殷の青銅器、マサカリ写し、握り皿
台湾の故宮博物院の収蔵品が上野の東博にやつて来た。
その中に、中国古代王朝、殷の青銅器のコレクションがあつた。
青銅器は殷の時代に最隆盛期を迎えたと言われる。
その異形で壮麗な数々の片隅に、ひっそりと小さな青銅盤が立て掛けてあった。
狩に使うマサカリの形で、持ち手の部分には玉が象嵌されていた。
祭事に用いられたと言う。
微かに緑青が吹き、3000年に及ぶ歳月は、小品ながら、静謐さの中にも堂々と異彩を放っていた。感動であつた。この形、この色彩を皿に写そう!。
一心不乱、色合いはかなり変化したが、嬉しい出来となつた。
殷の青銅器、マサカリ写し、握り皿
台湾の故宮博物院の収蔵品が上野の東博にやつて来た。
その中に、中国古代王朝、殷の青銅器のコレクションがあつた。
青銅器は殷の時代に最隆盛期を迎えたと言われる。
その異形で壮麗な数々の片隅に、ひっそりと小さな青銅盤が立て掛けてあった。
狩に使うマサカリの形で、持ち手の部分には玉が象嵌されていた。
祭事に用いられたと言う。
微かに緑青が吹き、3000年に及ぶ歳月は、小品ながら、静謐さの中にも堂々と異彩を放っていた。感動であつた。この形、この色彩を皿に写そう!。
一心不乱、色合いはかなり変化したが、嬉しい出来となつた。
サヨリ、下絵付け握り皿 28×20×0.7
魚の型に切つた皿の中心に長方形の空間を抜き、周りを下絵の具の黒でたつぶりと塗り潰す。
空間を下絵の具の白で丁寧に塗り、乾燥させる。そこに三匹のサヨリを泳がせる。
長く伸ばしたくちばしの下顎の先端を薄っすらと紅に染めたサヨリは、江戸前鮨の世界では、粋でイナセな魚として、晩秋から冬にかけてを旨さの旬とする。